映画メインの感想を日記形式で綴っております♪どうぞのんびり覗いてやって下さいませ♪
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

こんにちは!
ちょっと樽見鉄道に乗ってぷらりと出かけてまいりました。

〈行き〉
●樽見鉄道
大垣駅

谷汲口駅

●コミュニティーバス
谷汲口駅

谷汲山

上神原

(11月中はもみじまつりの為、バス停横蔵にはバスは着かないです)

上神原からは徒歩10分くらいで横蔵寺につきました。
観光バスが結構来てました。
だいたいお客様の9割がお年寄りでした。
樽見鉄道は揖斐線に比べると割高ですが景色は断然いいです。



《解説》

横蔵寺は、伝教大師が自作の薬師如来を祀った寺であり、比叡山の薬師如来と同じ木から作ったと言います。
横蔵の地は東山道、後の中山道の赤坂の宿から7里(約30キロ)北に位置し横蔵街道という巡礼道があり、1里毎に薬師を祀ってました。
濃尾平野の北、両白山地帯の南、修行にはよい環境といえましょう。
平安、鎌倉時代には、この辺りの本山として、学問や文化の中心として栄えました。
本堂の左奥の山の頂付近に、沢山の僧坊跡が在りますが、鎌倉時代の記録によれば、薬師堂、三重塔、政所をはじめ38の僧坊があり、山内に百数十人の僧侶が住んでいたそうです。本堂跡、仁王門跡は残ってます。
戦国時代には次々と寺領を侵略され、元亀の方難には織田信長に全て取り上げられます。
また、比叡山再建のため、横蔵寺の薬師如来は比叡山へ移り根来中堂の本尊となります。
横蔵寺も慶長年間に再建の運びとなり、現在に至っているそうです。


舎利堂には妙心上人の舎利仏(ミイラ)が公開されてます。人工的な加工はしていないのに朽ちずに200年経ってもずっと座ってます。
妙心上人は1781年に横蔵に生まれました。両親没後、仏道修行のため巡礼の旅に出て、西国、坂東、秩父の三十三ヶ所、四国八十八ヶ所を巡り、やがて信濃の善光寺で受戒されました。その後富士山に登り自らを富士大行者と称し、富士講の先達を勤めました。山梨の御正体山にも登りましたが1815年御正体山の洞窟で断食し、入定されました。37歳。
上人の遺体は村人の手によって祀られていましたが、明治の初め山梨県庁へ移され、明治13年
明治天皇行幸の際、展覧に供されたと云います。それが縁で明治23年出生地の横蔵寺に祀られることになったのだそうです。(パンフレットより)
奥のハイキングコースも魅力的です。


境内みとり図





舎利堂






観音堂




本堂





檜皮葺、入母屋造、向拝付、軒の組物は一手先。江戸時代初期、1671年に完成










山門色があった当時は豪奢だったのでしょうね!
<br clear="all">




山門の天井


























境内の風景







" align=


宝物館には深沙大将が祀られています。
もともとは砂漠の神。玄奘三蔵のお供の1人、『西遊記』の沙悟浄です。古くは深沙神と書かれ、泰山府君の化身とも、毘沙門天の化身とも言われています。平安時代中期の作、楠の一本彫りです。『お力のある仏様』と教えてもらいました。日本中でも横蔵以外は舞鶴、福井くらいしか拝めないそうです。多分ここ横蔵と福井の深沙大将が同じ規模の大きさかと。
スポンサーサイト

【2011/11/16 21:13】 | 日記
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。