映画メインの感想を日記形式で綴っております♪どうぞのんびり覗いてやって下さいませ♪
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18日は毎月岐阜から往復バスが1便でます。

大きな完熟富有柿を5つ200円!?Σ( □ ;)安い!
買ってしまいました♪




谷汲のキャラクターです。可愛い!



西国三十三ヶ所巡って最後にここ谷汲の本堂向拝の柱に打ち付けてある鯉(2匹います)を撫でると精進落としになったという古来の奇習。その奇習にあやかりタッチ♪



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笈摺堂
西国三十三ヶ所を遍歴してきた巡礼者は、谷汲山で満願打ち止めとして、その証に笈摺を納めていきます。花山法王が「今までは 親と頼みし笈摺を 脱ぎて納むる 美濃の谷汲」という詠歌を衣に添われたことから、「笈摺堂」という名が付いたといわれています。



下から見上げた本堂↓



あれ?木造毘沙門天立像は!? (菅原道実の手から作り出された平安時代の作風、高さ166センチ)結局見なかったので残念(-ω-;)ヽ










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行きは樽見鉄道の車輌。に乗りました途中の駅で団体貸切列車が2輌増結されました。






華厳寺の創建は延暦17年(798)とされ、次のような縁起が残されています。
奥州会津黒河郷に大口大領という人がいました。十一面観音を建立したいと強く願い、京の仏師に彫り上げてもらったところ、観音像は、仏師が差し出した笠や履き物、杖を自分でみつけ先に立って歩き始めました。
途中、美濃国赤坂を過ぎると、「遠い奥州へは行かない。この先の山中に有縁の地があるのでそこで衆生を済度する」と語られ、奥州とは違う北に向かって歩き出しました。華厳寺の南にある丸山に来たときです。観音像は歩みを止められ、一歩も動かなくなりました。大領は観音像の言葉を思い出し、丸山に堂を建て観音像を安置しました。すると、堂堂近くの岩穴から油が沸きだし、灯明に困ることがなかったといいます。
この話を聞かれた醍醐天皇は、谷汲山の山号と華厳寺の扁額を賜ったといいます。山号は沸きだした油を汲んだことに、寺名は観音像に華厳経が写経されていたことにちなむとされています。

(谷汲山華厳寺略縁起より)
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【2011/11/18 20:40】 | 日記
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